5月26日 井手上漠の「nomal?」を読んで
井手上漠の「nomal?」というフォトエッセイを読みました
このフォトエッセイの発売が決まってからずっと読みたいなーと思っていて、たまたま機会があったので読んでみました
性別ってなんなんですかね
そんなことを根本的に考えさせられました
男らしい、女らしい、とは一体なんだろう?
そもそも男らしい、女らしいなんてあるのか?
男だからこうあるべきだ、女だからこうあるべきだ、っていうのはおかしいんじゃないか?
そもそも性別を「男」「女」の2種類で分けていいのだろうか?
皆さんどう思いますか?
俺はオトコだからこんなことをしちゃいけない、私はオンナだからこんなことをしちゃいけない…
そんなことって本当にあっていいんだろうか?
10人の人がいたら10人の性格がそれぞれ違うように、性別もそれぞれ違うと思う
みんな好きなことをすればいい
メイクをしたかったらメイクすればいいし、スカートを履きたかったらスカートを履けばいい
人のしたいことに対して他人がどうのこうのいうのはなんかちょっと違うんじゃないかなぁ
この本を読んでからというもの色々考えてみました
元々、この本を読む前からも性別については色んなことを考えていたんだけど、あまりこうやって文字に起こすことはしなかったからいい機会だなと思って文字に起こしています
そもそも、なんで最近になってこういう性差別や他の今まで大きな問題として扱われるべきことが、大きな問題としてそれまでは扱われてはいなかったのに、頻繁に議論されるようになったんだろう
やっぱりそれは人類が進歩していってるからだと思います
経済的余裕が増えると自分の外の問題がある程度解決されて、自己の内面の問題に向き合うようになっていったんじゃないかな
そこで自分とは異なる考えを持った他者の意見に耳をより一層傾けるようになる、こういうことで、それまで黙っていた人たちも自分のことを話すようになる
またインターネットの普及、特にSNSの普及によって誰でも世界に向かって自分の意見を発信できるようになった
そもそも昔からこういう問題はあったわけで、でもそれが「問題」として扱われて来なかった、それは今までの常識的に男ならこう、女ならこうだ、という固定観念が「当たり前」だとされていたからだと思います
誰かがこれはおかしいんじゃないか、間違っているんじゃないかと、声をあげる
今まではそれは無視されていた、また、異常者扱いされていた
でも多くの「聞き手」が現れたとこでそれが社会問題として表面化していった
今はここです
まだ何も解決されていないと、僕は思います
今から大人になって、社会に出ていく僕達、この問題を今まさに直視している僕たちがこういう問題を解決する必要がある
自分には何ができるか、小さいことからでも始める
そういう地道な個々人の努力、他者を理解し、容認すること、これが結局あらゆる問題の解決策になり得ると、僕は思います
いつか、みんなが幸せに過ごすことの出来る社会が来て欲しいな、と思っています
ダラダラ書いてしまってごめんなさい
みんなも井手上漠の「nomal?」時間がある時に是非読んでください
1時間くらいで読み終わるので
では